島根県史跡 石見銀山(いわみぎんざん)の楽しみ方


世界遺産 石見銀山 史跡 石見銀山(いわみぎんざん)

世界文化遺産に指定される前は、国指定の史跡として保存されていました。

島根県太田市

石見銀山は、鉱山としては、民間会社「藤田組」が近代的な採掘・精錬を試みたが、採算に合わず、資源そのもののが枯渇し大正時代に休山しました。

この町を昭和30年代に地元住民が遺構や町並みの保存に乗り出し、長く地道な活動から、世界文化遺産に登録されました。

工場にあたる銀山地区は約二キロの山道、清流沿いの緑豊かな街道です。その下に広がる町並み地区は社宅・商店街で1キロの街路。坂の両側には江戸から昭和までの痕跡を残す家並みが続く。

石見銀山の見学みならず

銀山の争奪戦の拠点となった城跡を見ながら日本海に出るルート。

銀を積み出した温泉津(ゆいつ)の港。

紺碧の海を背景に赤い石州瓦の温泉旅籠が連なるところ

大半の人は、坑道をくぐって帰るだけですが、できれば、閑静な名湯につかり、ゆっくり散策して石見銀山の価値を味わいたいものです。

 

<石見銀山の歴史>

1526年 博多の商人「神屋寿禎(かみやじゅてい」が鉱脈を見つけ、採掘に乗り出した。

灰吹き法の導入で、産出量は飛躍的に増え、大内、尼子、毛利らが銀の山をめぐる争奪戦を繰り広げ、徳川家康の関が原戦いのわずか10日後に直轄を布告したところからも重要なところであった。初代奉行は佐渡金山の経営で辣腕をふるった大久保長安。このころが生産のピークだ年間一万貫(38トン)。

灰吹き法
朝鮮渡来の技術をもとにした「灰吹き法」は鉄なべと木炭で銀を抽出できる

石見銀山の銀は世界の生産高の三分の一に達し、中国の通過となり、南蛮貿易の基軸となって、中国の生糸や鉄砲が輸入できた。