
田儀櫻井家たたら製鉄所遺跡(史跡)
島根県出雲市多伎町
出雲の田儀海岸から7キロメートルほど狭く険しい谷筋を上った山間
古来の製鉄法「たたら」
江戸時代初期から明治23年まで約250年間に創業。
出雲を代表する鉄師が海辺の山中に大集落、山中に豪壮な屋敷があり、谷川の向こうに精錬小屋、わき道を登るとひな壇状に職人たちの家々、製鉄の神様が上から見下ろしている。
たたら製鉄とは?
土製の炉の中で木炭の燃料で砂鉄を溶かして鉄をつくる日本の古来製法です。
出雲地方には、良質の砂鉄と森林資源が豊富なため、鉄の生産が盛んに行われた。
たたらとは?
炭を燃やすために風を送るため、大型のふいごのこと。
すもうや歌舞伎で「たたらを踏む」という所作があるが、このふいごで足を踏む動きに似ているところから名がついた。
さらにふいごで風をおくる製鉄炉の地下に保温防湿の技術も発達した。
出雲の国には
・田部
・総原
・櫻井
のたたら製鉄御三家がありました。
櫻井家は大阪夏の陣で奮闘した豪傑「塙団ばんだん右衛門」の末裔。
安芸の国可部から奥出雲の上可井に移りたたらを興した。田儀櫻井家は分家にあたり、徳川家光のころ海に近い田儀で製鉄を始めました。
明治初年には労働者170人、家族も含めると700人の住人がいました。
谷川の対岸に大鍛冶場があり、鍬、鎌などの農具や釘などの鉄製品がつくられた。そして、田儀港から大阪、北陸、九州などに売られました。
原料の砂鉄は鳥取県
炭は隠岐の島
たたら製鉄は
「粉鉄(こがね)七里に炭三里」
※粉鉄は砂鉄のこと
砂鉄の産地は7里先でもよいが木炭は近いほうがよりと言われ、砂鉄の産地より炭の供給地が近いことを重視しました。森林資源が豊富な山奥に立地しています。
御三家のある奥出雲は
「もののけ姫」の森のモデルになっています。
田儀製鉄の経営の特徴は、森より海上輸送を重視しています。先取りした考え方がありました。