松江藩の歴代藩主家系


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★堀尾氏(慶長5年1600年~寛永10年1633年)

24万石

堀尾吉晴(ほりおよしはる)
堀尾忠氏(ほりおただうじ)
堀尾忠晴(ほりおただはる)

慶長5年の関ヶ原合戦の後、出雲・隠岐両国を拝領した。
吉晴と子の忠氏は、遠江(とうとうみ)国浜松(静岡県)から月山富田城(がっさんとだ)に入ったが、松江の将来性に着目して城地を移し、築城を行った。
豊臣秀吉、徳川家康と二人の天下人に仕え、豊臣秀吉政権下では三中老の一人として功績を残した。城普請(しろふしん)の名人であり、孫の忠晴を助け、松江城と城下町を建設し、現在の松江市の礎を築く。

 

★京極氏(寛永11年1634~寛永14年1637)

26万5千石

京極忠高(きょうごくただたか)

堀尾家の後を継ぎ、若狭国小浜(福井県)から出雲に入国した。
約3年の短い統治期間であったが、当時の度重なる洪水で氾濫を起こしていた斐伊川を大土手により改修した。現在でも京極若狭守忠高(きょうごくわかさのかみただたか)にちなんだ「若狭土手」(わかさどて)という名を残している。

また、幕府直轄領の石見銀山の監督権を与えられ、歴代松江藩の中で最大の領地を治めた。

徳川二代将軍「徳川秀忠と正妻江夫妻」の子四女「初」が京極忠高の正妻である。

 

★松平氏(寛永15年1638~明治4年1871)

18万6千石

松平直政(まつだいらなおまさ)
松平治郷(まつだいらはるさと)7代
松平定安(まつだいらさだやす)10代

 

松平直政は、京極家の後を継ぎ、信濃国松本(長野)から出雲の国に入国した。
慶長19年(1614)14歳で大阪冬の陣に参戦、初陣ながらも力戦奮闘。敵将真田幸村は、その武勇を讃えて自らの軍扇を投げ与えたという。徳川初代将軍「徳川家康」の第二子「結城秀康」の第三子。

松平七代藩主「松平治郷(まつだいらはるさと)」は、若いころから茶禅の道を学んで、独自の流儀を確立し、現在でも不昧流(ふまいりゅう)として継承されている。江戸時代中期の大名茶人で陶芸、漆工なども振興し、茶どころ松江の礎を築いた。